「共有」が日常的になった現代のコミュニケーション
現代のビジネス環境や組織運営において、スタッフ間や協力者間のコミュニケーションの過半数が電子メールを介して行われているのが現状です。特にIT関連の組織では、独自に開発されたチャットアプリケーションやサーバーを経由したデータのやり取りがさらに多く見られる傾向にあります。このようなインターネットを活用した情報交換方法の最も顕著な特徴として、「共有」という機能が挙げられます。これにより、大多数の情報が複数の関係者に同時に伝達されることになります。では、なぜこのような「共有」が広く行われるようになったのでしょうか?その背景と意図を探ってみましょう。
報告と承認プロセスの効率化
企業や組織において、上司の指示や管理下で遂行される業務では、与えられた職務に関する利害関係者とのやり取りを上司にも同時に送信(共有)することで、日々の報告を兼ねる方法が一般的になっています。この「共有」という行為によって、上司がその進捗状況を把握し、暗黙のうちに承認したとみなされるのです。また、チームメンバー全員に同時送信することで、全員がその内容を理解し、特に反論や異論が返信されなければ、その進捗状況はチーム全体に承認されたものとして、次のステップに進むための根拠となります。このように、「共有」は情報伝達と承認プロセスを一度に行う効率的な手段として機能しているのです。
「共有」された情報は本当に読まれているのか?
しかし、ここで一つの疑問が浮かび上がります。例えば、社員、主任、課長、部長、担当役員といった一般的な組織階層で「共有」が行われた場合、特に大企業の課長クラスの立場にある人々は、一日中部下からのメールに目を通し続けなければならない状況に陥る可能性があります。さらに、それらすべてのメールに対して返信で意見や指示を与えることは、物理的に不可能であると考えられます。また、部長への報告はどのような方法で情報を把握し、どのように行われているのでしょうか?
このような状況下では、共有メールを受け取ったものの、その内容に部下の不適切な対応があったとしても、それに気づかずに「承認」したとみなされてしまう危険性があります。私個人の意見としては、部下から「メールで共有したはずですが...」と言われた場合、「そのような重要な事項は直接伝えるべきだ」と返答するでしょう。皆さんの会社ではこのような状況にどのように対処しているのでしょうか?
中間管理職の魅力低下の要因
最近の週刊誌や新聞、あるいはSNSで、課長職への昇進を希望しない社員が増加しているという記事を目にしました。この現象の背景には、メールチェックに追われ、「共有」という仕組みによって責任だけが押し付けられる一方で、それまでに培ってきた専門的な技能が活かせなくなるというジレンマがあるのかもしれません。中間管理職の役割が、単なる情報の中継点になってしまっていることへの不満が、この現象の一因となっている可能性があります。
対面でのコミュニケーションとネットを介した共有の相違点
過去においては、ビジネスにおける情報共有は主に会議やミーティング、上司への直接的な報告など、対面で行われる情報交換や伝達が中心でした。対面でのコミュニケーションとネットを介した共有の最も大きな違いは、前者が相手の反応や理解度に応じて説明の力点や視点を柔軟に変えられるのに対し、後者ではすべての受信者が同一の情報を受け取るという点です。
情報の受け手は、それぞれが持つ知識量や立場、環境によって、同じ情報でも異なる解釈をしたり、理解できない部分があったりします。そのため、「共有」という名目で送られる同一の情報は、実質的には多くの受信者間で真の意味での共有がなされていない可能性が高いと言えるでしょう。
一般用語として定着した「共有」の再考
「共有」という言葉は、ビジネスの文脈を超えて日常生活の場面でも頻繁に使用されるほど、一般的な用語として完全に定着しています。しかし、この実質的には十分な意味を成していない、いわば責任回避の道具として機能しているコミュニケーション方法について、社会全体でその問題点を認識し、再考する時期に来ているのではないでしょうか。
B2B・PR映像制作における対面コミュニケーションの重要性
私が携わるB2B向けPR映像制作の分野では、訴求対象となる企業やユーザーに対して、可能な限りカスタマイズされた内容(「事実」をより効果的に伝えるよう工夫された情報)を提供することで、最大限の訴求効果を目指しています。つまり、インターネット上で公開される映像であっても、対面でのコミュニケーションと同等、あるいはそれ以上の効果を生み出す映像を制作することが、私たちの使命であると考えています。
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