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Tomizo Jinno

ゆらぎを信じて・私の映像制作指針

「事実」は誰にとっても均一にそこにある物や事ですが、その事実に含まれている真実は、捉える人の主観によってさまざまに変質します。同一人物であっても時間や環境の変化によっても変質します。それは「ゆらぎ」と呼ばれる人間生来のあいまいさであり、人間らしさです。時に「成長」とも言われます。


人間の本質はゆらぎにある
ゆらぐ


人間の本質はゆらぎにある


人間の行動や思考は常に一定ではなく、状況や時間によって変化します。この変化がゆらぎであり、それが人間の本質を特徴づける重要な要素です。なぜ、人間はゆらぐ存在なのでしょうか。


生物としての側面


人間の脳は、膨大な数の神経細胞が複雑にネットワークを形成していて、外界からの刺激に絶えず反応しています。この神経ネットワークは、環境の変化や個人の内的な状態に応じて、柔軟に再構成されるため、思考や感情は常に流動的です。また、人間の体は、ホルモン分泌や自律神経系の働きなど、様々な生理的な要因によって影響を受け、その結果、感情や行動にゆらぎが生じます。


社会的な側面


人間は社会の中で様々な人と関わり、多様な価値観や情報に触れることで、自己を形成していきます。しかし、社会は常に変化しており、個人が置かれる状況も刻々と変化します。そのため、人間は、過去の経験や現在の状況に合わせて、自分の考えや行動を柔軟に変化させます。この適応能力こそが、人間のゆらぎの本質と言えるでしょう。


哲学や心理学の視点


古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、「万物は流転する」という言葉を残しました。これは、世界が常に変化し、静止した状態はないということを意味しています。人間もまた、この世界の一部であり、絶えず変化し続ける存在です。心理学においても、人間の認知や感情は、客観的な事実だけでなく、個人の過去の経験や期待、そして社会的な文脈によって大きく影響されます。


量子力学の視点


量子力学の世界では、粒子は波のような性質を持っており、観測されるまでその状態は確定しません。この原理は、人間の意識や行動にも当てはまるのではないかという考えがあります。つまり、人間の意識は、外界からの刺激によって常に変化しており、一つの固定された状態に落ち着くことはないということです。


ゆらぎは、単なる不安定さではなく、むしろ人間の創造性や適応能力の源泉と言えるでしょう。



ゆらぎを排除したクリエイティブ


音楽の世界はコンピュータによる創作が幅を利かす時代ですが。生バンドと打ち込みでつくられた音楽(DTM)には、明白なノリの違いがあります。その大きな要因は「ゆらぎ」にあると思っています。リードギターが気持ちに酔いしれて走り出そうとするところを、ベースとバスドラが懸命にキープしようとする、その駆け引きに私の体はリズムを刻みます。メトロノームのように正確なリズムには反応しません。

同様にさまざまな表現分野がコンピューターを援用することで、ゆらぎが消失しています。シミひとつない肌、どこまでも青い海に、人は感動するものでしょうか?



ゆらぎを恐れず


映像によって切り取られ、説明が加えられた事実は、真実に近づくことも遠ざけることもできます。私は視聴者がどのような真実に共感するのかを考え、その人がより共感し、さらに価値観に影響を与え、ときに成長を促すことができる映像を作っていきたいと考えています。


そのとき、私は自分自身の「ゆらぎ」を恐れず、そのゆらぎを映像に取り入れようと思います。なぜなら、視聴者の感情は定型では説明できないゆらぎを持っているのですから、伝える側もそのゆらぎに対して効果的なアプローチをすることで、むしろ視聴者にピッタリと波長を合わせることができるかも知れないからです。定型な表現は平均点をとることはできても、突出した成果を出す可能性は低くなります。

そのためには人間の本質である「ゆらぎ」に関する想像力を働かせることが重要です。私には私のゆらぎがあります。その私自身のゆらぎを信じてつくれば、もしかしたら世界を変えられる物語ができるかも知れません。

もちろん仕事ですから、大ハズシは避けなくてはいけません。

でも、自分のゆらぎを信じて。

これが私の来年の指針です。



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