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Tomizo Jinno

オチをつけるのはダサい

「オチをつけるのは気持ち悪い」


先日テレビのバラエティ番組に出ている若手人気お笑い芸人が

「オチに向かっていく話がイヤ」

という趣旨のことを言っていて、昨今世間で持てはやされる映像コンテンツや音楽の傾向と同じだと思いました。

以前は文脈をもっていたこうした表現物は、今は単語ひとつ、ないしは繰り返しの1シーン完結モノだと考える人が増えているように思います。



動画(ドーガ)という表現物


WEB上でウケる動画も、ほぼ必ず、ストーリーはなく、ただ同じ趣旨のカットが繋がれていて、音楽は「淡々」「大袈裟」「激しく」「静かに」というトーンで、終始一辺倒の楽曲。

つまり起承転結のような構成、シナリオは無いのが普通になっています。

シナリオが無いということは、これもつまり「意味がない」ということだと思います。

非難しているわけでも、悲嘆にくれているわけでもありません。

自分が「意味」を表現することも、人にされることも、

なんとなく「うっとおしい」という時代なのです。



オチへのこだわりから解放される表現


「オチ」という概念は、長らく笑いや物語の完成度を測る一つの指標とされてきました。しかし、現代においては、「オチ」にこだわること自体が陳腐だと捉えられつつあります。


多様化する笑い

従来の「オチ」に頼らない、シチュエーションコメディやブラックユーモアなど、より多様な笑いの形式が求められています。


物語の開放性

オチで全てを解決するのではなく、読者や視聴者に余韻を残すような、開放的な結末が好まれる傾向にあります。


日常の断片の美しさ

日常生活の中に散りばめられた些細な出来事や言葉の響きを楽しむ、いわゆる「エモい」表現が注目を集めています。



オチに囚われない表現


自由な発想

オチという制約から解放されることで、より自由な発想で作品作りに取り組むことができます。


深みのある表現

オチだけに焦点を当てるのではなく、物語全体の雰囲気や登場人物の心情描写に重きを置くことで、より深みのある作品を生み出すことができます。


多様な解釈

読者や視聴者がそれぞれに作品を解釈できるため、作品の世界観がより豊かになります。



オチを意識せずに感動を与える作品の特徴


日常の積み重ね

日常の些細な出来事や会話の積み重ねが、じんわりと心に染み渡るような作品。オチがないことで、読者や視聴者がそれぞれの解釈で余韻に浸ることができます。


登場人物の心の変化

登場人物の心の変化や成長に焦点を当てた作品。オチよりも、登場人物の感情の機微や人間関係の変化に重きが置かれています。


風景描写や雰囲気

美しい風景描写や独特の雰囲気作りによって、読者や視聴者を物語の世界に引き込む作品。オチよりも、世界観そのものを楽しむことができます。


抽象的な表現

具体的なオチではなく、抽象的な表現を用いて、読者や視聴者に考えさせる余地を残す作品。



なぜオチがない作品が感動を与えるのか


共感

読者や視聴者が、登場人物の感情や状況に共感し、自分自身と重ね合わせることで感動を得ることができます。


余韻

オチがないことで、読者や視聴者は作品の世界観に長く留まり、自分なりに解釈し、余韻を楽しむことができます。


普遍性

特定の結論を示すのではなく、普遍的なテーマや人間の感情を描いているため、時代や文化を超えて共感を得ることができます。


オチをつけるのはダサい
オチをつけるのはダサい

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