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Tomizo Jinno

ナレーション原稿における「表記ゆれ」の意図

繰り返し登場する単語の変化と課題

特定のテーマに基づいた映像(動画)制作において、シナリオ(ナレーション原稿)には必然的に同じ単語が何度も登場します。しかし、執筆の過程で、興味深い現象が発生することがあるのです。

例えば、当初「レース」という単語を使用していたものが、いつの間にか「競争」に変化し、さらには「競技」へと移り変わっていくことがあります。

出版書籍や論文においての「表記ゆれ」は執筆者の粗忽さの現れのように扱われていますが、映像シナリオ、それもナレーション原稿(つまり視聴者の目には触れない)におけるこの現象は、単に執筆者の注意力不足ということではなく、創作過程における自然な流れの一部と、私は思っています。


執筆期間と記憶の限界

通常、10分程度の映像に対するシナリオ執筆では、おおよそ3日間ほどの作業期間を要します。この比較的長い執筆期間中、執筆者は初期に使用した表現を忘れてしまうことがあります。その結果、無意識のうちに異なる表現を採用してしまい、結果として用語の不統一が生じてしまいます。しかし、実はこれは人間の記憶の特性と創造的プロセスの自然な結果かもしれないのです。



表現の統一:メリットとデメリット

経験則から言えることは、これらの表現を単純に同一の単語に統一してしまうと、不思議なことにストーリー全体の勢いや生き生きとした感覚が失われてしまう傾向があります。確かに、統一後のテキストを客観的に読み返してみると、より整理された印象を受けることは間違いありません。しかし同時に、何か大切なものが失われたような感覚も否めないのです。この現象は、創作における「揺らぎ」の重要性を示唆しているのかもしれません。


クライアントチェックによる修正と課題

ナレーション原稿を読むのはナレーターですから、この表記のゆらぎは視聴者の目に触れることはありません。ただし本番録音の前に、クライアントと私たち制作者はシナリオについて完全に同意をする必要があります。このような、一見不揃いに見えるシナリオをクライアントに提出した場合、特に大企業や理系企業の担当者は、こうした用語の不統一を即座に指摘し、修正を要求します。執筆者自身も不統一に気づいていることが多いため、通常はこれらの指摘に素直に従い修正を行います。

ここで興味深い問題が発生します。

修正後のテキストを読み返してみると、なぜか文章全体が平板で味気ないものになってしまっている感覚を覚えることが少なくありません。言葉の選択における微妙な揺らぎが失われることで、テキスト全体の魅力や説得力が減じてしまうのです。この現象の背後にある理由は何なのでしょうか?ここに創作における重要な示唆が隠されているように思われます。



筆者の解釈:言葉の響きと文章の流れ

この現象に対する一つの解釈として、以下のような説明が考えられます。みなさんはどのようにお考えでしょうか?

例えば、卓球でピンポン球を打ち返す際を想像してみてください。同じ角度でラケットと球が接触したとしても(つまり、跳ね返る球とラケットの角度が同じ=同じ意味の単語を使用した場合)、順手と逆手では球に与える回転が異なり、結果として台に当たった後の球の軌道が変化します。これと同様に、同じ意味を表す単語であっても、ナレーターが読み上げるわずかな言葉の響きやリズムの違いによって、話の展開や読者の受ける印象が微妙に変化する可能性があるのではないでしょうか。



執筆プロセスにおける直感の重要性

このような観点から考えると、執筆中に自然と湧き上がってくる言葉選択には、作者の無意識的な意図や感覚が反映されている可能性があります。したがって、用語の完全な統一にこだわるよりも、ある程度の不統一を許容することで、テキストの生命力や説得力を維持できるのではないでしょうか?

この考え方に基づけば、シナリオ(ナレーション原稿)における用語の微妙な不統一は、必ずしも欠点ではなく、むしろ文章に豊かさと深みを与える要素として捉えることができるかもしれません。皆さまは、この解釈についてどのようにお考えでしょうか?


※取扱説明書や教育用テキスト、IT解説書などの表記ゆれはダメだということは勿論理解しています。あと、SEOにも不利ですね。

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