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Tomizo Jinno

年頭所感「心をつかった映像制作」

私は映像プロデューサー・ディレクターです。長年、企業のPR映像制作に携わってきました。若い頃は、派手な手法や小難しい技巧に心を奪われていましたが、歳を重ねるにつれて、手法や技術よりも大切なものがあることに気づかされました。それは、「心」です。


心
蓮の花は泥水の中で育ち花を咲かせます。澄んだ水は好まず、むしろ泥が濃いほど美しい花が咲くそうです。

「心」とは、単なる感情的なものではなく、映像を見る人の心に響き、共感や感動を生み出すための、より深い人間理解のことです。私は映像が持つ力、そしてそれが人の心に与える影響を深く知っていると同時に、恐れてもいます。喜び、悲しみ、感動、そして時には怒りさえも、映像はそれら全てを表現できます。そしてその表現を通じて、人々の心に何かを残すことができるのです。同時に傷つけることもできます。


私は企業のPR映像制作において、クライアントの想いを理解し、それを映像という手紙にする「代書屋」のような役割を担っています。映像制作は、単なる技術的な作業ではありません。構成、映像、音声、音楽など、様々な要素を繊細に組み合わせて、物語を紡ぎ出す行為です。クライアントが伝えたいことは何か、ターゲットとする視聴者は誰か、そして、その映像がどのように世の中に影響を与えるのか。これらの要素を総合的に考え、クライアントの想いを最大限に表現できる映像を創り出すことに、まさに心を砕いています。



ゆらぎという人間の本質


Creative contentのほとんどがComputer-aidedな時代にあって、私がつくる作品は、どこか情緒的であるとよく言われます。それは、私がつくる映像の中には時折り「ゆらぎ」が混在するからかも知れません。私は作品に自分の心を投影しています。それは、映像を通じて人々と繋がり、共感したいという願いからきています。私の作品を見た人々が、少しでも何かを感じ、考え、そして行動するきっかけになって欲しいからです。


クライアントの要望と、自分の価値観との間で葛藤することもあります。また、常に新しい技術や表現方法を取り入れながら、時代の変化に対応していくことも求められます。


それでも、私は今なお映像制作という仕事に熱意を持っています。それは、映像という表現手段が、たとえビジネス映像であっっても、人々の心を動かし、社会をより良く変えることができるという確信があるからです。私は、これからも「心をつかって映像をつくる」という信念のもと、多くの人々に感動と喜びを与える作品を作り続けていきたいと思っています。

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