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映像制作における価値観の多様性と、その衝突がもたらす感情について

私たち映像制作業で働く人には、大きく分けて二つのタイプがあります。

ひとつは、自分の価値観に絶対的な自信をもち、他人にもそれを勧める人。

もうひとつは、自分の価値観だけがすべてではないと考え、他人の価値観を尊重する人。


私の考えとしては、前者はテレビ番組や映画、アート系の映像分野に多く、後者は私のような企業系の映像制作に関わる場合が多いと思います。私の仕事はクライアントあっての映像づくりですから、ある意味当然かも知れません。

それでも、自分の価値観を持っていないわけではありませんから、クライアントにとって良かれと思って行った作為が気に入ってもらえないと、ちょっと傷つきます。毎回気をとりなおして軌道修正をして前に進んでいます。


さて、ところで映像に関する評価・価値判断すなわち価値観は千差万別であることはわかっていても、人はこの「映像」に関する価値観については、他人に異なった価値観を聞かされると、特別に傷つく面があるように思います。

なぜでしょうか。




1. 映像は感情に直結しやすい


  • 視覚と聴覚の複合的な刺激: 映像は、視覚と聴覚という二つの強力な感覚に訴えかけます。この複合的な刺激は、感情を強く揺さぶり、個人的な体験や記憶と結びつきやすいのです。そのため、自分の作品に対する否定的な意見は、まるで自分自身を否定されたように感じてしまうことがあります。


  • 物語性と共感: 映像には、物語が宿っています。観る人は、物語に共感し、登場人物の感情を自分事のように感じることがあります。そのため、自分の作品が共感を得られなかったり、物語の解釈が異なったりすると、深い落胆を味わうことがあります。


2. 自己表現の媒体としての映像


  • アイデンティティの投影: 映像制作は、制作者の思想、感情、世界観を表現する重要な手段です。作品を通じて、自分のアイデンティティを表明していると言えるでしょう。そのため、作品に対する批判は、自分自身の存在意義を問われているように感じられ、深く傷つくことがあります。


  • 創造性の結晶: 映像作品は、制作者の創造性の結晶です。長時間にわたる構想、撮影、編集といったプロセスを経て完成した作品に対する否定的な評価は、その創造性を否定されているように感じられ、大きな打撃となることがあります。


3. 社会的な評価と結びつきやすい


  • 実績と評価: 映像制作の分野では、作品が社会的な評価を得ることで、制作者のキャリアが左右されることがあります。そのため、作品に対する評価は、個人的な感情だけでなく、社会的なステータスや将来にも影響を与えるという側面があり、より深刻に受け止められてしまうことがあります。


  • フィードバックの直接性: 映像は、多くの人々に公開される可能性があります。そのため、SNSなどを通じて、直接的なフィードバックを受ける機会が多くなります。匿名の誹謗中傷など、建設的でない意見も目にすることがあり、精神的な負担が大きくなることがあります。


4. 客観的な評価基準の難しさ


  • 主観的な要素の強さ: 映像作品に対する評価は、非常に主観的な要素が強いです。美的感覚、文化的背景、個人的な経験など、様々な要因が評価に影響を与えるため、客観的な評価基準を確立することが困難です。そのため、自分の作品が評価されない理由を客観的に理解することが難しく、自己肯定感を損なうことがあります。


  • 多様な解釈: 同じ映像作品であっても、観る人によって解釈は様々です。制作者が意図したことを正しく理解してもらえない場合、誤解や不満が生じることがあります。


これらの要因が複合的に作用することで、映像に関する価値観の衝突は、他の分野よりも深く傷つくという現象が生まれると考えられます。寛容な社会はますます遠いものになりつつある今、映像制作に関わる者はその寛容性についていつも考えている責任があると思います。クライアントの意見は、あくまでその会社のアイデンティティを守るためのものであり、個人の評価ではないと受け止め、より広範な価値観の把握に努めましょう。


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