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読書と映像づくり

自分のための記録映像を除き、原則的に誰かに向けて、何かを伝えたいと願って、撮影したり編集するものだと思います。ですから、出来上がった映像作品には、つくった人の人格や技量が色濃く反映されている、と僕は思っています。


映像をつくることが仕事となれば、自身の全人格と知識、技術を駆使して「意図」を伝える方法を考え、実践します。僕は日々、そういう仕事をしています。

今朝自宅の書棚を眺めていて、そういう僕をつくった本を2冊思い出しました。


「人を動かす」

翻訳:山口博

この本、小学校4年生の時に家の近所の小さな本屋さんの書棚に並んでいて、どういうわけか目に入り、気になって購入しました。830円の定価とあります。1970年当時の小学4年生にとってのこの金額はかなり高額だったに違いありません。当時の自分が何を考えていたかハッキリは思い出せませんが、クラス40人強の教室では、成績はクラスで1、2番、体格も良かったので、いつの間にか「リーダー格」になっていた頃です。子供心にも先生の期待に応えようと、クラスの仲間をリードする方法を知りたかったのだと思います。


自分のための記録映像を除き、原則的に誰かに向けて、何かを伝えたいと願って、撮影したり編集するものだと思います。
読書と映像づくり

で、読みながら思ったことは覚えています。「これはすごい!」「僕が思っていることがそのまま書いてある!」です。10才の子供が、この本に買いてあることを、すべてすでに考えていたわけはありませんが、現れる1文、1文に共感したことは確かでしょう。その後の僕の人生の礎になる「人間社会思想」は、この時始まり、今も脈々と連なりながら象山活動を続けています。


人間関係をドライに捉える

この本の根底にある基本思想は、「人と自分をきちんと分けて考える」そして「人は決して自分の思い通りには動かない」です。

ならば、どうすれば良好な人間関係が築けて、社会に対して創造的な役割が果たせるだろう?ということを、非常によく整理された章立てで説明している本が「人を動かす」です。


映像制作の基本スタンス

この根本思想は、映像をつくる上でも非常に大切なスタンスだと僕は思っています。ましてビジネスとして映像を制作する身であれば、自分を客観的に見られることは大前提であり、「人は思い通りには行かない」を如何に突破するかが、僕たちの技量だからです。 「星の王子さま」

有名なセリフ「本当に大切なものは目に見えない」(訳:内藤 濯)

この言葉には痺れました。


星の王子さま
星の王子さま

我が意を得たり

とはこのことで、目に見せる映像を作っている我々映像制作業の人間なら、たぶん誰もがこう思いながら映像をつくっているのではないでしょうか。

僕らはあれこれカットを重ねて、なんとか伝えたいことを明確にしようとします。しかし本当に大切なものは、「映っているもの」ではなく、「映ってないこと」のなかにあります。どういうことかというと、いくつものカットの連続を通じて意図は表出してきますが、その1カット、1カットは決して「真実」ではなく、単なる「事実」です。事実は1枚の画像になりますが、真実は1つの画像では定義しきれないほど複雑なものであり、数を重ねた画像がシーンとなり、ようやくおぼろげな真実が見えてくるものです。同時に真実とは100人の視聴者がいたら100通りのものであり、それは「解釈」という、ひとりひとりの自我に委ねられたカタチのない、目に見えないもの・・・だからです。


自分が大切に育てたバラ

慈しんで育てた人間にとっては、そのバラは特別なバラ。様々な経緯、背景をいくつも持っている人にとっては、そのことが真実です。しかし、バラはバラでしかありません。別な人にとっては、そのバラはどうでもいい、意味のないバラかも知れません。


映像を誰かの視点でモノを見せる

そして視聴者に対して、その視点の人にとっての真実を想像させ、それに共感するよう仕向けます。ときに、その「誰か」自身も真実に気付いていないことをあぶり出し、その誰かを啓発します。


真実は目に見えないこそ素晴らしい

目に見えることは、仏教に帰依するまでもなく、むしろ空なものであり、そのことに拘泥していると、真実が見えなくなってしまう。こうした思想は洋の東西を問わず、かなり普遍的なのもではないでしょうか。人としてのものの見方、考え方として基盤とすべきことだと、僕は思います。

映像をつくる上でもしかり。

サン=テグジュペリが教えてくれたこの哲学は、僕の精神基盤のひとつです。

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